銅管 曲げについて思うこと
「考え方」から「報告」は、「ここ数年、ほとんど生産性の向上が見込めないなかでは、マクロレベルの賃上げについては、きわめて慎重に対処すべきである」として、ここでマクロでの「ベアゼロ」論を打ち出している。
全体(全国)の平均でベースアップをゼロにしなければならない、そうしなければ物価が上がる、というのが「生産性基準原理」による年来の主張である。
この「生産性基準原理」は、日経連が70年春闘以来、賃金抑制のため「理論」として繰り返し春闘時に強調しているものである。 70年代なかば以降、これに労働運動の右よりの潮流が同調(「経済整合性」論)し、いわゆる「管理春闘」を労資合作で出現させたことは、よく知られている。
ところで、このマクロの賃金決定論と前述のミクロの賃金決定論の統一的運用とは、どういうことなのか。 一言でいえば、まず、国民経済の実質成長率によって全国的な平均賃上げ率を割り出し、ついで、これをべースに個々の企業のベースアップは、個々の企業の「支払能力」に即して決定していく、というものである。
具体的に数字をあげれば、まず、いま国民経済の実質成長率がほぼゼロであるから全国的な平均ベア率はゼロ(ベア・ゼロ)とする。 ついで、個々の企業の「支払能力」はデコボコであり、プラスもマイナスもありうるが、全体の平均がゼロにならなくてはならない、というものである。
これが日経連の主張する「ベア・ゼロ」論の内容である。 ところが、「報告」を正確に読めば、「ベア・ゼロ」どころか「マイナスのベア」になってしまう。
なぜか。 「報告」のいう「支払能力」論についてすでに確認したように、たいへん経営状態のよい、つまり「支払能力」のあるはずの企業についてすら、いくつものハードルに阻まれて結局ベースアップにたどりつけない。
ということは、経営状態の悪い企業ではマイナスのベア(賃下げ)であるから、最終的に経営状態のよい「ベア・ゼロ」の企業と、経営状態のわるい「マイナス・ベア」の総平均を出せば、ゼロとマイナスの平均であるから結局「ベア・ゼロ」ではなく「マイナス・ベア」とならざるをえないのである。 このように日経連は「ベア・ゼロ」をいいながら、そのじつ、「マイナス・ベア」をねらっていることになるし、日経連がまぎれもなく賃下げをねらっていることは、つぎの「総額人件費管理」の徹底・強化の強調をみれば、さらにはっきりするであろう。
1997年版「報告」は、とくに「重要な総額人件費管理の視点」という一項をもうけ、「総額人件費管理」の強化を強調している。 つぎのように「報告」は述べる。
「個別企業の賃金決定においては、賃金、雇用、労働時間、福利厚生を一体とした総額人件費管理の視点が重要である」。 多少解説しよう。
賃金について住「所定内賃金」の管理だけではなく、「賞与、退職金、法定内外の福利費等を常にパッケージにした上で、経営計画を踏まえて人件費管理の徹底をしていくことが必要である」(日経連「新時代の言本的経営」」)というわけで、基本給・所定内賃金以外の人件費管理の強化もふくめて強調されている。 一雇用については、端的にいって「人くらし」による人件費削減、正規雇用のパートなど非正規雇用の代替による人件費削減このような雇用破壊とセットの人件費の大幅削減がねらわれて労働時間については、裁量労働の拡大が主張されている。
「働いている労働時間の長さに重きを置くのではなく、働いた成果によって従業員の仕事ぶりを評価し、処遇するとの視点に切り替えることが必要である」(前掲書)。 この第一のねらいは労働強化、「生産性向上」であり、第2に超過勤務手当の不必要などであるが、いずれもコスト・ダウンになることはいうまでもない。
なお、さまざまな変形労働制の利用も同様の効果をもつ。 そのほか、詳述できないが、一時金、退職金、福利厚生費などの「能力主義的運用」(差別的運用)による人件費のトータルな削減が企図されている。
ここで強調し注意を喚起しておきたいのは、年功賃金の職能給化や年俸制導入といった賃金の支払形態・賃金体系改定の前提的条件とされているのが、その改定による2割とか3割といったトータルの人件費の削減である。 いくらぼんやりした経営者でも、この点にぬかりはない。
かれらは賃金体系の改定によって人件費がトータルで削減できないかぎり、その改定に踏み切ることは決してない。 このことは「高コスト体質」の打破を主張する資本家にとってイロハなのである。
このような「総額人件費管理」が徹底・強化されれば、賃金の基本部分について「ベア・ゼロ」であっても、それ以外の部分が削減されれば、結局、賃下げになる。 ‐すでにみたように「ベア・ゼロ」さえ怪しく「マイナス・ベア」ということになれば、賃下げがより際立つ。
いずれにせよ「報告」は、「総額人件費管理」の徹底・強化ということで、複線型の賃下げを、つまりあらゆるチャンネルを動員した賃下げ・人件費削減を、個別資本家に督励しているのであり、すでにこれはあちこちの企業で実践されていることでもある。 労働組合が春闘をたたかうにあたって基本賃金・所定内賃金だけでなく、たえず一雇用・労働時間など広範な問題にたいする目配りを忘れてならないことを、資本の多面的な攻撃が示唆しているといえよう。
そういえばすでにみた95年版「報告」がいみじくも「雇用、労働時間、賃金を一体で考えよ」と力説していたのである。 日経連の「春闘見直し」の内容は2点である。
第一は、「横並び春闘」を個々の企業の生産性・支払能力に応じた「バラバラ春闘」にすべし、という主張である。 引用すれば、「労使交渉や賃金協定のあり方をどうするかという問題は、個別企業労使が自社の経営環境などに即して決めるべきである。
また、労働側は格差是正を目的に個別賃金要求への移行に取り組んでいるが、賃金格差是正は生産性との関係で論じられるべき問題である。 生産性を無視した横並び賃上げが内外価格差を生み、高コスト構造を招いたことを忘れてはならない」ということである。
この主張は、事実上、「春闘解体」論である。 なぜなら、そもそも春闘は、日経連流にいえば「横並び」であるがゆえに春闘だからである。
もし日経連のいうように「個別企業労使が自社の経営環境などに即して」賃金をきめるようになれば、そのようなバラバラな賃金交渉はもはや「春闘」ではない。 だが、いくら日経連がそのように主張しても後述の理由から、それが実現する条件はない。
事実その後、経営側(M重工業のS常務)でさえ97春闘に向けて、「基本的には横一線でいくべきだ。 各社の業績や円高修正を考慮すれば、今年は横並びしやすいのではないか」日経連の「春闘見直し」のいま一つの論点は、「隔年春闘」にかかわる。
97年版「報告」は、つぎのようにいう。 「環境激変が続くとすれば、経営の安定を前提としたこうした協定(「複数年賃金協定」のこと引用者)には、大企業であれ、中小企業であれ、一層の競争力の強化・生産性向上への取り組みが要請されるが、このような事態に個別企業の労使は的確な対応が可能であろうか」。
これは持って回った言い方だが、要するに日経連は、「隔年春闘ノー」なのだ。
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ところで、このマクロの賃金決定論と前述のミクロの賃金決定論の統一的運用とは、どういうことなのか。 一言でいえば、まず、国民経済の実質成長率によって全国的な平均賃上げ率を割り出し、ついで、これをべースに個々の企業のベースアップは、個々の企業の「支払能力」に即して決定していく、というものである。
具体的に数字をあげれば、まず、いま国民経済の実質成長率がほぼゼロであるから全国的な平均ベア率はゼロ(ベア・ゼロ)とする。 ついで、個々の企業の「支払能力」はデコボコであり、プラスもマイナスもありうるが、全体の平均がゼロにならなくてはならない、というものである。
これが日経連の主張する「ベア・ゼロ」論の内容である。 ところが、「報告」を正確に読めば、「ベア・ゼロ」どころか「マイナスのベア」になってしまう。
なぜか。 「報告」のいう「支払能力」論についてすでに確認したように、たいへん経営状態のよい、つまり「支払能力」のあるはずの企業についてすら、いくつものハードルに阻まれて結局ベースアップにたどりつけない。
ということは、経営状態の悪い企業ではマイナスのベア(賃下げ)であるから、最終的に経営状態のよい「ベア・ゼロ」の企業と、経営状態のわるい「マイナス・ベア」の総平均を出せば、ゼロとマイナスの平均であるから結局「ベア・ゼロ」ではなく「マイナス・ベア」とならざるをえないのである。 このように日経連は「ベア・ゼロ」をいいながら、そのじつ、「マイナス・ベア」をねらっていることになるし、日経連がまぎれもなく賃下げをねらっていることは、つぎの「総額人件費管理」の徹底・強化の強調をみれば、さらにはっきりするであろう。
1997年版「報告」は、とくに「重要な総額人件費管理の視点」という一項をもうけ、「総額人件費管理」の強化を強調している。 つぎのように「報告」は述べる。
「個別企業の賃金決定においては、賃金、雇用、労働時間、福利厚生を一体とした総額人件費管理の視点が重要である」。 多少解説しよう。
賃金について住「所定内賃金」の管理だけではなく、「賞与、退職金、法定内外の福利費等を常にパッケージにした上で、経営計画を踏まえて人件費管理の徹底をしていくことが必要である」(日経連「新時代の言本的経営」」)というわけで、基本給・所定内賃金以外の人件費管理の強化もふくめて強調されている。 一雇用については、端的にいって「人くらし」による人件費削減、正規雇用のパートなど非正規雇用の代替による人件費削減このような雇用破壊とセットの人件費の大幅削減がねらわれて労働時間については、裁量労働の拡大が主張されている。
「働いている労働時間の長さに重きを置くのではなく、働いた成果によって従業員の仕事ぶりを評価し、処遇するとの視点に切り替えることが必要である」(前掲書)。 この第一のねらいは労働強化、「生産性向上」であり、第2に超過勤務手当の不必要などであるが、いずれもコスト・ダウンになることはいうまでもない。
なお、さまざまな変形労働制の利用も同様の効果をもつ。 そのほか、詳述できないが、一時金、退職金、福利厚生費などの「能力主義的運用」(差別的運用)による人件費のトータルな削減が企図されている。
ここで強調し注意を喚起しておきたいのは、年功賃金の職能給化や年俸制導入といった賃金の支払形態・賃金体系改定の前提的条件とされているのが、その改定による2割とか3割といったトータルの人件費の削減である。 いくらぼんやりした経営者でも、この点にぬかりはない。
かれらは賃金体系の改定によって人件費がトータルで削減できないかぎり、その改定に踏み切ることは決してない。 このことは「高コスト体質」の打破を主張する資本家にとってイロハなのである。
このような「総額人件費管理」が徹底・強化されれば、賃金の基本部分について「ベア・ゼロ」であっても、それ以外の部分が削減されれば、結局、賃下げになる。 ‐すでにみたように「ベア・ゼロ」さえ怪しく「マイナス・ベア」ということになれば、賃下げがより際立つ。
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第一は、「横並び春闘」を個々の企業の生産性・支払能力に応じた「バラバラ春闘」にすべし、という主張である。 引用すれば、「労使交渉や賃金協定のあり方をどうするかという問題は、個別企業労使が自社の経営環境などに即して決めるべきである。
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この主張は、事実上、「春闘解体」論である。 なぜなら、そもそも春闘は、日経連流にいえば「横並び」であるがゆえに春闘だからである。
もし日経連のいうように「個別企業労使が自社の経営環境などに即して」賃金をきめるようになれば、そのようなバラバラな賃金交渉はもはや「春闘」ではない。 だが、いくら日経連がそのように主張しても後述の理由から、それが実現する条件はない。
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97年版「報告」は、つぎのようにいう。 「環境激変が続くとすれば、経営の安定を前提としたこうした協定(「複数年賃金協定」のこと引用者)には、大企業であれ、中小企業であれ、一層の競争力の強化・生産性向上への取り組みが要請されるが、このような事態に個別企業の労使は的確な対応が可能であろうか」。
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